目次

街を紹介しましょう 2003.7.2
毒のもりかた 2002.5.27
美術館を造るとしたら 2002.4.14
娘から「私が生まれた時どんな感じだった?」と聞かれました 2002.2.10
しし座流星群を見ました 2001.11.20
歩く 2001.9.24
アース 2001.8.13
コミュニティは再生できるか 2001.7.22
夏といえば 2001.7.12
談合っていいな 2001.5.11
遺跡はなぜ埋まっているの? 2001.3.12
静かな人、声出して 2001.1.6
食雑感 2000.11.7

街を紹介しましょう 2003.7.2

  初めて四日市を訪れる友人にこの街を紹介してみましょう。さあ!どこへ案内しましょう? けっこういろんなものがありますね。かの有名なコンビナートも、伝統産業も、さびれたとはいえ県下有数の繁華街、緑豊かな田園風景、広い公園もあります、牧場もダムもあります。それらがそれなりのレベルにあります。でも、いろいろありすぎて、かえって「これは!」というか、突出したものに思い当たらないような気もします。それなりに満たされている、逆に、とりたてていうほどのものではないという気がしないでもありません。思い入れという応援がなくてもよさそうな気もします。いわば傍観者の立場もとれるのです。要は、ハングリーではないということが四日市の特徴だと思います。
 私は家族を、例え遠く離れていても、共に生きたいと強く願う単位であると思っています。一方、故郷は、自分の想いとは別に共に「ある」ものだと思います。でも「ある」ということから、一歩踏み込んで「ありたい」「あってほしくない」と願うようになればそれは傍観者ではなくなります。そんな想いをこめることができるのは、一人ひとりの感性だろうと思います。例え他人が「それはつまらないよ」と言おうとも「絶対おすすめだよ」といえる源です。そこには画一的な価値観ではなく個性豊かな価値観があるのです。
 人が動物と異なるのは、本能の世界をどれだけ大きくはみだして生きるかどうかです。はみ出すための力が個性であり、その個性を育むのが文化だと思います。尤も、本能から逸脱するから生態系をこわす、公害をおこす、という逆のことも言えるかもしれませんが。文化を生むのは、必要にせっぱつまったハングリー精神でしょう。それは本能の枠をこえることを意味しますが、そのための規範は、理性でしょう。言い換えれば、互いの個性を尊重する、互いの文化を尊重されなければならないと思います。
 もう一度四日市を見直してみませんか。肯定的であっても否定的であってもいいんです、一人ひとりの想いを反映させながら。
 そして、その想いをとぎすませるために、個性を育むことにも目をやりませんか。芸術や文化活動が盛んな環境であってほしいと思います。

宇賀渓 2002.6.1 宇賀渓

鉄はしごから見下ろした長尾滝の滝壺

毒のもりかた 2002.5.27

 ある量の毒を一度に使うか、それとも細かく分けて使うか。
 友人に忠告するばあい、事務的に直接的に言えば彼はショックを受ける。でも、少しづつ言っていけばそれは薬になるかもしれない。同じ量の毒をもるにも方法がある。それが友人に対する思いやりでしょう。情実をはさまずに悪いことは悪いこととストレートに言ってもいいのでしょうが。友人じゃないですか。それは手加減したことではなく、毒は全部もったことは確かです。
 でも薬にもならなかったら、それは友達じゃないな。

美術館を造るとしたら 2002.4.14

 予算は100億円としましょう。100億円全部を建物に注ぎ込んだとしよう。中身にお金を使えなかった美術館に一体誰が来るでしょう。建築というその場だけの水で一部の人が潤うかもしれないが、乾いてしまったらあの金がなんだったのということになってしまう。
 では、50億円を建物に使い、50億円で収蔵品を集めましょう。こんな額では大した物は集まりませんが、総花的ではなく、あるジャンルとかに特化したものにすれば、それなりのものが集まり、それなりの人がやってくるでしょう。
 では、収蔵品には49億円使うことにして、1億円でコンテストをやりましょう。賞金は1000万円。こんな額のコンテストは聞いた事がありません。世界中の話題になります。世界中から人がやってきます。予算が1億円だから10年間はニュースになります。この美術館は世界の注目となります。その筋のメッカになります。
 同じ金をかけるなら、長く楽しみたい。長く効果があるように使いたい。

いわかがみ 2002.5.3 三池岳のいわかがみ

娘から
「私が生まれた時どんな感じだった?」
と聞かれました
 2002.2.10

 私には子どもが二人います。二人とも娘です。同じ親から生まれています。なのに、初対面の時、何もわからない嬰児であるのに、それぞれに何か違うものを感じました。勿論泣き方も眠り方も違いますが、それ以上に波長の違いみたいなものを感じました。それは、何もわからない嬰児と小馬鹿にしましたが、実は既に持って生まれた個性があるということなんでしょう。つまり、私と妻の子というより、既に個として完成している人間なのだ。ただ姿形は幼子であり、大人には理解できない言葉で話しかけて来ているのだということじゃないでしょうか。泣き方にもいろいろあります。この子はこの子なりに話しかけたり表現しているんでしょうが、大人の私達には鳴き声としか聞こえないのが残念です。
 この子を天使と呼ぶとしましょう。誰のお使いだか知りませんが、天使と言う言葉を人間でない人間の意味で使うならば、この子をうまく人間に脱皮させることができるかどうかが、私達に投げかけられた課題に思えました。中身が既に存在しているのです。一皮一皮私達夫婦の手で上手に剥いでいって、元来もっている素材(個性)を引き出してやるのが私達の使命のように思えました。「はたしておまえ達にそれができるか?」と誰かが問いかけているような気もしました。一方、この子が大人になったとき、私自身が一人の人間としてつきあっていただけるような者になっているだろうか、それも問題であるように思えました。
 ですから、冒頭の娘の問に対して、「うれしい、かわいい、ということより、これからどうぞよろしくお願いします、よろしくお付き合いください。と感じた」と答えました。
 娘達は素直に育ちました。それは娘達が元々もっているものだったのでしょう。私達はそれが顕在化するのを手伝っただけだと思います。
 娘に子どもが生まれました。二十数年前の思いがよみがえります。孫の顔を始めて見たとき、上の娘とは違う、下の娘とも違う、やはり別の個に対面した思いがしました。この子が大きくなって、「あの時、おじいちゃん、こんにちは。と赤ちゃん語で言ったんだよ」と言われたら、「目で、一人の人間としてお付き合いいただきたいと言ったよ」と答えておこう。

夜明け 2002.1.2

2002年の夜明け

四日市市垂坂町

藤原岳から 2001.11.22

藤原岳から多度山系をのぞむ

藤原岳スキー場跡 2001.11.2 2

かつてスキー場があった藤原岳山荘付近

しし座流星群を見ました 2001.11.20

 回りに遮る物のない畑の真ん中でみました。天の一点から全方向に降ってきました。
 ふと考えました。星が流れるのではなく、逆に、あの天の一点に向かって、地球が動いているんだ。夜汽車の窓から家の明かりが流れるように、地球の周りの景色が流れているように見えるんだ。
 よく、地球を宇宙船に例えた表現がありますが、私の立っている畑、そしてその畑が乗っている地球が、回りの景色つまりは流星が流れる速度であの方向に移動しているのだ。ちらばった星くずの中に地球が突入しているのだ。(厳密には引力の関係でそう単純なものでないことは承知していますが、感覚的に表現しました)
 音もなく猛スピードで移動しているこの船の乗組員は? 乗客は?
 乗客はいないんだ、全員が乗組員なんだ。操縦をできないけど、船のメンテナンスをやり、他の乗組員にサーブする。降りることができない船に乗っている以上、楽しい船旅をしなくっちゃ。

蕎麦の花と虹 2001.11.2

菰野町川北

蕎麦の花と虹

菰野町調整池 2001.9.30 菰野町調整池
赤染め桜並木 2001.9.29 四日市市西村町

絵のような色調は日の出に染まっているため

歩く 2001.9.24

 五十路も半ばになって登山を始めました。まだ近くの鈴鹿山脈を、団体に混じって後をついていっています。
 私にとって、山登りの魅力は、復活感の魅力です。キャンプ場からいきなり急な登山道に入る。なれない体は悲鳴をあげる。汗が飛び出す。心臓はポンプという機械だと認識できる。ピストンがギシギシ鳴る。そして潤滑油が切れシリンダーに焼き付いてポンプが今にも止まりそうになる。
 しゃがみこむ。ペットボトルの茶を飲む。汗をぬぐうにも手を動かない。思考がとまる。
 やがて、何かが体中に染み渡る感じがする。立ち上がれるだろうか。おや、何事もなく体が軽い。復活だ!
 そんなことが最初は30分間隔で、次には20分間隔、やがて10分間隔で、ああもうだめだと思う頃、頂上に到着。生きていることを実感できます。
 徒歩って意外と速いです。遥か彼方に見上げた頂上にいつの間にか到達しています。戦国時代の軍隊の移動は徒歩です。人が歩けさえすればいいのですから、目的地まで最短のコースを通る。山であろうと川であろうと。今移動を考える時、手段として真っ先に車を思いつき、車が通る道路を考える。でもそれは結構蛇行したり回り道だったりします。ほぼ直線的に歩けるのは段差を厭わない徒歩だけです。鈴鹿山脈にもいくつかの峠がある。かつては人力で物資を運んでいたでしょう。熊野古道もこれがかつてのメインロードとはとても思えない急峻で狭い道です。
 人が通るだけの道って、他人には教えたくない、秘密の楽しみみたいな感じがあって素敵です。

アース 2001.8.13

 体に電荷がたまることが不健康にしている。じゃあ、その電荷をアースして逃がしてやればいいんだ。アースは銅の棒を大地にたてたりしています。人間をアースするにはアース(大地)に手をふれればいいんだ。素手で土いじりすることでそれができるんだ。友人の警句です。

北勢線北大社駅 2001.7.20 北勢線北大社駅
県民の森 2001.7.19 県民の森

コミュニティは再生できるか 2001.7.22

かつては日本のどこにでもあったコミュニティが現代では稀有であるといわれます。
昔は、自分の周りだけを考えていればそれでことは済んだでしょうし、
事実ほとんど同じような生活をし、同じような価値観を持っていたことでしょう。
いわば「人間とは」という質問に、一言で定義できたことでしょう。

しかし、現代では部外者的な人間の比率が非常に高くなってきています。
例えば、同じ住宅街の中に、転勤族がいたとしましょう。
これを渡り鳥と称しましょう。
大きな組織の一員として働く人を、蟻さんとしましょう。
地元で家族だけで小さな工場をやっている人を、猪さんとしましょう。
「人間とは」という質問に、鳥のようで、蟻のようで、猪のようで…
何がなんだかわからないものということになります。

実際の鳥も蟻も猪もお互いの存在は無視しています。
利害関係にありません。
蟻の餌は猪の餌と違いますから隣にいても何の反応も示さないでしょう。
また鳥の生活には蟻も猪も影響していません。

人間鳥は普段は人間蟻や人間猪に影響されたくないと思っているかもしれません。
が、あいにくと餌がバッティングしています。住空間が影響しています。
かつて周りのことだけわかっているだけでことが済んでいたのが、
現代では国内だけでなく海外にまで目を向けなければなりません。
かつて例え農工商に分かれていても
農の人は工が何をやっているのか、商が何を考えているのか推測できました。
現代では他人のことはブラックボックスです。
同じ価値観を有することは不可能です。

このような状況の下で
かつて日本のいたる処に存在したようなコミュニティを再生できるのでしょうか。
もしできるとすれば、鳥的人間にも蟻的人間にも猪的人間にも共通した
何かをベースに構築せざるを得ないでしょう。
それは、「生きる」ということでしょうか。
自分自身が「生きる」と同時に、他人も自分同様に「生きる」ということでしょうか。

もし、コミュニティの基盤があまりにも本能的な「生きる」ということ「だけ」であれば
ちょっと複雑な気持ちになります。
人間であればもう少しプラスアルファがあってほしいと思うし、
人間は特別なんだという考えを捨て所詮他の生物と同じレベルなんだというのであれば
それはそれで納得もできますが……

釈迦ヶ岳 2001.7.14 釈迦ヶ岳
朝明川 2001.7.4 朝明川

夏といえば 2001.7.12

夏といえば海。
海といえば富田浜。

富田漁港の一角に塔のような形の製氷工場がある。
漁船の船倉に太い樋を使って、氷を流し込む。これから出漁だ。
やがて漁船はポンポンという特有の音色を奏でながら港を出ていく。
男達の生き生きとしたそんな風景を横目に、静寂の松並木を歩く。
大人でも抱えきれない太い松だ。
道は土というより少し砂混じり。さらさらという音が聞こえそう。
右側は煉瓦を透かし模様に積み上げた塀が続く。サナトリウムだ。
左側は大きな門構えの高級住宅がいくつも並ぶ。
やがてそれがとぎれる所、左手が明るく開ける。砂浜だ。
対岸の知多半島まで歩いていけると錯覚しそうなくらい遠浅の海岸だ。
さらに歩を進め、護岸堤防を過ぎると、有料の海水浴場。
中には遊園地やお化け屋敷もある。
さらに進むと、その喧噪も嘘のような別荘地へはいる。
松林をわたる風の音と波打つ音しか聞こえない。

海といえば海水浴。
ある時、そんな白砂青松の海で泳ぐと、体中が黒い油のようなものにまみれるようになった。
コンビナートが海に垂れ流した廃油だった。
誰も文句を言わなかった。
そして誰も泳がなくなった。
やがて、空気に色と臭いがつくようになった。
四日市公害の始まりだった。

海は死んだ。

やがて海がなくなる日が来た。
それまで毎年のように台風がやってきてその都度浸水。
子どもは、道がなくなって水の中に家が浮かぶという非日常を面白がっていた。
1959年、恒例の台風の夕方。
九月場所の14日目結びの一番が始まろうとしたその時、テレビが消えた。停電だ。
二階で音がした。雨と風で壁が抜けた。
風の当たらない位置の雨戸を打ち付ける。
ほっとして階下に降りたら、畳が浮いていて歩けない。
(テレビのバラエティ番組でよくあるプールに浮かべた発泡スチロールの板を渡るのを
 想像してもらえればおわかりだろう)
あっという間に首まで濁流が来る…
高波は防波堤を越え、その裏側の土を削り、
支えを失った堤防がゴロンとひっくりかえった結果の急激な増水だった。

波打ち際に、絶対に波が越えない巨大な防波堤ができた。
その内側に名四国道ができた。
砂浜がなくなった。

その40年後、
かつて泳いだその沖の位置に新しい埠頭が出来、ポートビルが建った。
今や廃油の海は消え海は再生したが、公害はなくなったろうか。
先日中心地の銀行の駐車場で、都市ガスのような臭いがした。
もれているのかと守衛に連絡したら、風向きでコンビナートから臭ってくるという。
出来た当時はカーレースが出来るくらいに空いていた名四国道は、今では終日渋滞だ。

感傷に浸って、「昔が良かった」というのではない。
あの伊勢湾台風の後のころから、高度成長が始まった。
ヨ〜イドン!とばかりに一斉に走り始めた。
早く走るために置いてきたものがあるかもしれない。
周りのものを目に入れずに走ってきたかもしれない。
レースに置いてきぼりされた人もいるだろう。

このレースのゴールは何なんだろう。

四日市旧港 2001.7.1 四日市旧港
奥に見えるのは
有名な潮吹き防波堤
竜ヶ岳頂上 竜ヶ岳傘ね岩
2001.5.26 竜ヶ岳頂上
2001.5.26 竜ヶ岳重ね岩

談合っていいな 2001.5.11

私の住む住宅団地で火災が発生しました。
原因は漏電のようで天井裏でくすぶっていたらしく、
しかも深夜12時頃のことで、気が付いた時にはすっかり手遅れ。
さらに、ここは高台なので消火栓の水圧も低く、
私達近所の者もただオロオロするだけで何もできないのが実状でした。
ただ、人的被害もなく、延焼も防げたことが、救われる思いでした。
被害に遭われたご家族は、逃げ出すのが精一杯で、
着ている寝間着以外には何も持ち出せなかったようでした。
そのうえ、新興住宅地で、ごく近所以外にはほとんどおつきあいもないのがあたりまえで、
ご家族は放心状態から離脱した後は、物心両面の不安が襲ってくるだろうと推測されました。

夜が明け、団地内にあるアパートに空き室があることがわかり、そこに仮住まいを決めました。
そのとたん、今まで会釈するだけの住民が次から次への生活物資を運び込み始めました。
大はベッドや冷凍冷蔵庫から、小は箸やキッチンペーパーまで。
ラップフィルムがないと言えば1年分ほど集まり、
ご家族が現場検証に立ち会ったり事情聴取の間にすっかり生活できるようになりました。
本当に、みんな、いい人たちなんだ。

日本人は農耕民族でした。手間のかかる水田は家族だけでは収穫は得られず、
しかもその手取り量も生かさず殺さずのレベルでは、
助け合わなければ生きていけなかったでしょう。
今やほとんどの人が農耕の経験がないにもかかわらず、
先祖が生活に欠くことのできない助け合いの生き方をその子が見て覚え、
さらにその子へと伝わる…という風に、ごく自然に染みついていったのでしょう。
ヨーロッパのように狩猟民族の血が流れているところでは、
基本的には一人ひとりが孤立している中では、
契約というものを介在しなければ社会が成り立たないでしょうが、
助けあわなければ生きていけない日本ではそのようなものがなくても人として生きていけたのです。
助け合いがごく自然だったのが日本です。

助け合い精神の一つに談合があります。
契約社会では弱肉強食というか、資金力に余裕があるところが安価で入札できます。
他の企業の恨みを買うことも気にせずに。
談合なら、仲間内では皆が例えわずかでも潤うことができます。
談合の本質は、限られたパイをどう仲良く分けるかであろうと思います。
それがいつの間にか、パイの大きさは無限となり好きだけぶんどれる、
それなら交代で腹一杯食おうとなってしまったのでしょう。

今やパイは有限です。しかもわずかです。
以前にも書きましたが、これからは競争の世界から協調の世界にならざるを得ません。
一人勝ちが出来ない世の中です。
そこで、パイに限りがあるということがわかる方法を、公共について考えてみましょう。
NPOの活動が盛んになれば、もう一つの役所的なものが考えられる…
その時住民はよりサービスのよい方を利用する…競争原理が働く…という話
を聞きました。それも一理あるでしょう。
別の考えを示しましょう。
今までの役所は広域行政に限定し、地域のことは一定のお金を渡して
地域の住民でその使い道を考えたらどうでしょう。
パイの量は見えています。
その中で何にお金を使ったらよいかを直接話し合うのです。
従来の自治会ではなく、いわば自治体とか自治区です。
談い合いが助け合いになるのです。

先祖から受け継いだ助け合いの気持ちを、
非常時だけでなくいつも心掛けて、公共にも生かせたらと思います。

釈迦ヶ岳 釈迦ヶ岳二段の滝
2001.5.20 釈迦ヶ岳
寝釈迦に見えますか?
釈迦ヶ岳二段の滝
朝明川 2001.5.11
朝明川
三岐鉄道保々駅 2001.4.5
三岐鉄道保々駅
海蔵川 2001.3.23 下海老町付近の海蔵川

遺跡はなぜ埋まっているの? 2001.3.12

あたりまえのようなことなんですが、私には何となく不思議なんです。
特にいろいろな時代の住居跡が層になっている遺跡の場合に感じます。
家を建てる場合、かつて建物があったところなら、
土を被せるより、そこにあるものをどけて整地して建てると思うんです。
それに雨風で土も削れてしまうような気がするんです。
それなのに埋まっています。
答え?はちょっと置いといて…

今、凝っているのは、散歩です。
始めたのは昨年の9月位からです。運動不足解消の為です。
最初の頃は三日に2度位でしょうか、最近は深夜に及ぶ仕事でそのような体力もなく、
1週間に1度程度になっていますが、
義務感を伴うことはせずに気が向いたらやるというのが現状です。
朝6時頃に出掛け、携帯電話が7時に音楽とともにスイッチが入るようにしてありますので、
その音を聞いたらその場で戻るようにしています。ですから、最大で2時間、
6時半にでかければ1時間の散歩です。
なぜ早朝なのかといいますと、私はこの時間が一番好きなんです。
今頃の6時は薄明るいですが、冬場の6時は真っ暗です。頭はまだ寝ていてぼうっとしています。
景色も日の出前は動くものはほとんどなくぼうっとしています。
時間がこのときだけはゆっくり動いているかのようです。
ひょっとしてこのときが一日のうちで最も静かな時かもしれません。
でも、これから何かが動き出す予感がします。
きっと胎児がおだやかな環境の中でけだるくそれでいて未来への夢をみているそんな感じです。

人のいない朝はいろんな出会いがあります。私は四日市市内のはずれに住んでいます。
住宅街をでれば田畑や雑木林が点在しています。キジに出会いました。
サルにも出会いました。リスも見かけました。動物にとっては最も安全な時間なんですね。
でも、私にとってはけっして安全とはいえません。このあたりの車が通る道には歩道がありません。
通り過ぎる車を避けて道の端を歩いています。

その道端の足元を見ると、アスファルトの端に土がかぶっています。
その上には雑草がたくましく手足を伸ばしています。
アスファルトって、どう考えても数年前に整地して舗装したはずです。
なのに、土が乗っているんです。その土はその雑草が枯れて出来たのでしょう。
それを肥料にさらに新しい草が…

遺跡は、自然のたくましい生命力で覆われてしまうんですね。
ただし、覆い尽くし地下へ追いやるまでには、
きっと気の遠くなるような時間がかかっているんでしょうね。
アメリカ大陸だったでしょうか。ある植物の種は山火事があうと発芽すると聞きました。
山火事の熱で松笠が開いて種子がはじき飛ばされるのだそうです。
そんな智恵を獲得するのに、どれだけの山火事を経験したのでしょうか。
生き物だけではありません。
散歩コースの途中に川があります。両側に数キロ離れて丘陵があります。
きっとかつては両方の丘を結ぶ高さまで土地があって、
この小さな川が浸食して今ある地形になっているのでしょう。
水は合理的に流れます。堰をつくっても長い時間の中では何の役にもたっていないかもしれません。

朝、頭がまだ働かないうちに、いわば夢ごこちの中を歩くと、
昼間とは違った感覚で、異次元の体験のようで楽しい発見があります。

伊坂ダム 2001.2.8 夜明けの伊坂ダム

静かな人、声出して 2001.1.6

かつて名古屋駅前にメトロ劇場という映画館がありました。
今は桜通りという広い道になっているんじゃないかな、
そこで子供の頃にとても面白い映画を見ました。
それは、ジュール・ベルヌの小説をディズニーが映画化したもので、
「海底二万哩」という名の映画でした。
巨大イカと潜水艦との格闘やら悪人との活劇やらわくわくする場面は勿論ですが、
何にもまして異様なスタイルに加え〈超〉進んだ技術をもつ潜水艦に
びっくりしたことを覚えています。

何年か経ってその動力が太陽と同じだという設定になっていたことにまたまた驚かされ、
小説が書かれた19世紀に太陽が究極のエネルギーと予測したベルヌにも感心しました。
太陽エネルギー、即ち、核融合エネルギーの実用化は20世紀にはできませんでした。
名古屋には大きな研究所があって興味と共に期待もしていたのですが。
最終にして最大、そして最もクリーンなこのエネルギーは
果たして21世紀には実用化されるのでしょうか。

この潜水艦の名は「ノーチラス号」。
この名は世界初の原子力潜水艦にも付けられました。
が、元祖のノーチラス号と違って現実のノーチラス号は、
究極のゴミを出す核分裂エネルギーで動いた初めての乗り物であったのが
あまりにも皮肉なことです。

20世紀は大きく二つの特徴があると思います。

1 20世紀は科学進歩の世紀であることは間違いないことでしょう。
(1)電気・電子技術の発展は今日のコンピュータや通信事情をもたらしました。
(2)20世紀に初めて翼を得た人間は宇宙まで飛び、
将来の人口増加に対応して宇宙植民の可能性も現実味を帯びてきました。
(3)でも、技術革新で忘れることのできないものは、
自然界に無かったものを創り出してしまったことです。
それが、原子力であり、石油化学、遺伝子組み換え等のバイオテクノロジーです。
それらは今世紀にどんな影響を及ぼすのか、非常に不安です。
2 20世紀は集団の力の極致と限界が示された世紀だと思います。
(1)二つの世界大戦は非戦闘員の大量犠牲を伴いました。
(2)社会主義国家の誕生と崩壊は社会と個人との関わり方に問題を突き付けました。
(3)以上二点に関連して多くの植民地が独立したり、国が分裂して新たな国々が誕生しました。

以上6項目をまとめればバランスの問題だと思います。
(1の(1)、(2)も恩恵に与れる度合いの面で)
権力や経済の偏りが戦争を引き起こし、人を搾取し、社会の歪みを生みます。
バランスとは言い換えればスムーズな流れです。 つまり停滞のない循環です。
燃やしてしまった化石燃料がもう一度生成するのに何万年もかかるのであれば循環とはいえず、
富が集中することによる閉塞状態を解決するのが戦争であれば再生産とは反意語です。

人は本質的にはエゴなものだと思います。
そのエゴを調整するのが社会でしょう。
ところがこれまでは人の集まりである社会がエゴを主張し
その構成員たる人にそのエゴを押しつけていたように思えます。
21世紀は、人がどれだけものがいえるか、
その上で、人の集まりがいかに知恵を出し合ってバランスをとることができるか、
いかに流れを生み出し維持できるかが問題だと思います。
その第一歩、人がものを言う状況を考えたとき、
わがままが言える度合いに大きな差があることに思い当たります。
大きな力や組織をもったわがままが通り、たった一人のわがままが無視される…。
だから何も言わなくなる……。
ますますアンバランスになっていく………。

静かな人、声出して

鈴鹿漁港 2001.3.28 鈴鹿漁港

食雑感 2000.11.7

   定食
20年位前だったでしょうか。知り合いがインドに1カ月程滞在したときの話です。
友達になった現地のお宅に夕食を誘われました。
ホテルの食事にも飽きてきたころで、喜んで出かけました。
なかなかのものだったそうです。数日後、又誘われました。
もちろん出掛けていきました。
すると、先日とまったく同じメニュー。この前の献立を忘れたのかな。
数日後、又誘われました。やはり、同じメニューです。で、聞いてみました。すると、
「いろんなものを食べるから病気になるんだ。
 昔から先祖代々同じものを食べているから健康なんだ。」
その話を聞いて、一瞬、そんな世界もあるんだと思ったのですが……

そういえば、私も似たような経験がありました。
それは30数年前、高校3年のときです。夏休みを静かなところで受験勉強をしたいと思い、
信州の母方の祖父母のところにやっかいになりました。
祖父母はすでにかなりの年でろくな食事の世話もできないとのことでしたが、
その言葉に違わず、約1カ月の間、朝昼晩の3食、計約90食が同じメニューでした。
それは、トースト、蜂蜜、山羊の乳、野菜と鶏肉の煮物です。
食事がうわの空になるくらい受験がプレッシャーだった、とは思えないのですが、
不思議なくらい全く飽きなかったのです。きっと栄養的にバランスがとれていて、
体が他のものを欲しがらなかったのでしょう。
おいしい空気とおいしい水、それらを吸収した地のものに、
オフクロからもらった血が初日からなじんでしまったのかもしれません。
漫画のドラゴンボールに、
自分のまわりの生きとし生けるものの気をもらう場面がありましたが、
まさにそんな感じでしょうか。

   仲間
住宅を建てるなら、その地に育った木で建てるとよい、と聞いたことがあります。
木は伐採後も呼吸をしながらだんだんと締まっていくそうですが、
同じ気候風土であればその息遣いに無理がないということでしょうか。
食についても、同じところに生きていたいわば仲間を口にできたら
抵抗無く身につきそうですてきだろうな。
そうだ、試しにざるそばを食うことにしてみよう。
そばはこのあたりでも栽培しているからいいよね。
山葵は鈴鹿山系の山奥には自生していると聞いたので、何とか手にはいるよね。
つゆはどうしよう。
だしは乾し椎茸とか川魚を干したものを使ってみようか。
(余談ですが、菜食主義のインド人がうちへ泊まっていったとき、
だしは鰹節や煮干しでなくて乾し椎茸と昆布でとりました。豚抜き酢豚を作りました。)
甘みは地酒の味醂か干し柿でどうだろう。
最近大豆をあちこちで作っているから醤油も心配ない……
しまった、塩、塩がない。同じ呼吸をした仲間といえる塩は
どこまで出掛けていったら手にはいるのだろう。

  塩そしてうまいもの
オフクロが子どもの頃(昭和の初め)、
行商の持ってくるちくわの穴にいっぱい塩がつまっていたそうです。
どちらが目的かはわからないけど、穴を利用するなんて面白いよね。
そういえば塩鮭ではなく、生鮭を食べられるようになったのは、いつだったろうか。
私の子どものころ、しょっぱくない鮭に感激したことを思い出しました。
そのころから冷蔵で輸送する手段が確立してきたのでしょう。
いまや塩蔵ものが懐かしかったりして。
その一つ、昔信州で食べた、烏賊の塩漬けはうまかった。
流し水で塩出ししたあと輪切りにし、ちょっと醤油をたらす、
それだけなんだけど、実にうまい。塩の効果でうま味がでているのだろう。
今でもあるだろうか。保存するために塩漬けせざるをえなかったのに、
冷蔵冷凍手段の発達でその必要がなくなったから、もう食べられないかもしれない。
うまいものといえば、10年程前モスクワのホテルでたべた目玉焼きとバターがうまかった。
100人もの団体で厨房も凝ったことをしていないだろうし特別な材料でもないだろうが、
卵の味が濃かった。バターは塩気の少ない香りのいい発酵バター。
自然のものだけを食い、いっぱい走り回った鶏や牛の姿が目に浮かぶよう。
うがった見方をすれば、
人工飼料を作る技術がなかったりして(ロシアの方、ごめんなさい)、
それくらい自然を感じることができるものでした。
うまいものをもう一つ。以前熊野古道散策で尾鷲市へ行った時のこと。
鰹のハラスの干物をご馳走になりました。
はらわたを落として尚残るその端の部分だと思います、
想像するに、多分鰹節をつくる際に欠けてしまうか油が多すぎて酸化しやすい部分でしょう。
日持ちがしないので地元の人しか食べられないとのこと。
焼けば油でもうもうたる煙。
かなり塩が利いていましたが、香りに煙も加わって濃厚な味でした。
きっと、地元でぺろっと食べてしまって、外に出す余裕がないのかもしれません。
と、思い付いたままあげてみれば、やはり素材ですね。
ごくたまに食べるフランス料理もおいしいのですが、
フランス料理はソースで食べさせる料理だそうで、
その由来は新鮮な材料が手に入らないからせめてソースを工夫して…、
ってことで発達した料理と聞きました。
有名な旅館の和食をたべる機会に恵まれたことがあったのですが、
どれもこれも同じ味っていうか、素材の味を押さえてしまっているように思えました。
さきほどのハラスのようなアクの強いものはさけて、誰の口にも合うようにということでしょうか。

  最低限の確保
素材にめぐまれた地に生まれたはずなのに、季節はずれに食べたい、
行ったこともない土地のものを食べたいと余分な電気や燃料を使ったりする。
効率を優先する為に大量生産大量消費のシステムを構築維持、そしてそのために、
食べるという本能とはかけ離れたハイテクが駆使されている。
確かに必要は発明の母の観点からすればよいのかもしれませんが…
生きるということはもっと素朴なこと。もっと基本的なことが欠落しているように思えます。
グァムへ行ったとき、立派なステーキが安く食べられました。
肉が主食のアメリカ人にとっては欠くことのできない食材です。
でも島に牛の姿もみかけないのでどこからか輸入しているんだろうと思って聞いてみたら、
近くに牧場だけの島があるそうです。
遠くからでは天候その他で不都合があるかもしれません。
なるほど絶対必要なものは身近なところで確保しているんだ。

まさに雑感で、まとめる必要はないのですが…
地元の、一緒に呼吸している、安心できるものを口にできるようにありたい。
きっとそこには効率とは無縁な素朴な世界があるでしょうね。