連載 お金に対する価値観を変える“地域通貨”
      井上淳之典 記



第9回 〜半年間の試験運用から見えてきたこと その2〜
 地域通貨を実践する上で、現行の貨幣制度との折り合いをどうつけるか、というのはとても大きなテーマです。今ある経済システムと全く切り離されたところで、あくまで相互扶助などを目的としたボランティア活動の対価として地域通貨を使うべきであるという考え方で運営しているグループもあります。しかし、私は社会的な側面と経済的な側面とは別々のモノであると考えるよりは、相互に関連していると考える方が自然ではないかと思っています。そもそも、「社会的か?経済的か?」という区分け自体が従来の価値観に基づいているからです。もちろん、地域通貨を使って「新しい価値を生み出す」というのは口で言うほどやさしくありません。それには明確なビジョンと具体的な戦略、継続する意志が必要です。
 昨年11月に行った全国地域通貨サミットでコメンテーターをお願いした森野栄一さんは、「地域通貨とは継続性のことである」と言っておられるのですが、このコトバに照らし合わせると、期間を限った試験運用の中では、いろいろなことが見えてきたように思っていても、本当のことはまだまだわかっていないのでしょう。そういう意味で、地域通貨ポートは、まだまだ本当の意味ではスタートしていなかったと言えるかもしれません。地域通貨は一つの社会実験であることは確かですが、試験運用という条件の中では、自ずと真剣味が薄れてしまうのもまた事実です。実験でありながら、つねに本番という姿勢が必要だったように思います。
 今まで何度か書いてきたことですが、地域通貨はあくまで道具にすぎないので、ただの道具である地域通貨に問題解決を期待したところで、それは無理な注文でしょう。いかに道具を有効に使いこなしていくかという、使う側の人間の主体的な判断や意思なくして、地域通貨の成功はあり得ません。結局は使う人間の問題なのです。地域通貨を使って私たちは何を実現したいのか? それを自他に向けて問い続けながら、それぞれの夢や思いを結集し、実現するまで実践し続けていくことです。
 地域通貨には「遊び」の要素は欠かせませんが、たとえ「遊び」といえども、真剣に遊ばなければ人々が関心を寄せるものにはならないことでしょう。何事もそうですが、真剣に遊べば遊ぶほど面白くなってくるものです。まだまだ充分に開拓されておらず、大きな可能性を秘めている地域通貨をつかって、あなたはどのように遊びますか?

第8回 〜半年間の試験運用から見えてきたこと その1〜
 昨年(2000年)10月から地域通貨ポートの試験運用がスタートしましたが、予定していた半年間の試験運用期間が3月31日に終了し、いよいよこれから実施のための一歩を踏み出すことになります。感謝循環ツール“ポート”が生まれるまでの経緯や試験運用を行った成果の詳細について、ただいま報告書を作成していますが、ここでは半年間を振り返って感じたことのおおよそについて書いてみようと思います。
 まず今回、試験運用の開始にあたって前提条件として確認したことは次の通りです。
 1.とりあえず通帳型のLETS方式を採用する
 2.試験運用中は寺子屋プロジェクトが事務局を担う
 3.課題の洗い出しとシステムづくり、流通促進のアイデア考案を優先する
 4.メンバーは50名以内限定でメンバーを増やすことを目的にしない
 5.できれば地域通貨に積極的に関わって行きたい人、地域通貨で実現したい夢のある人にメンバーになってほしい
 6.運営コストについては、四日市市民活動ファンドの助成金を申請する
 半年間でやったことと言えば、月1回地域通貨が使える交換マーケットを開催し、11月と1月にメンバー向けの会報とメニュー表を発行して通帳を更新し、アンケート調査やヒヤリングを実施したことぐらいでしたが、これだけのことを企画して実行するだけでも、事務局にはかなり大きな負担がかかることがわかりました。また、地域通貨が使われたのは、交換マーケットが中心でしたが、メンバーが少なく、しかもお互いに離れている状態の中では、日常的な流通取引を期待する方が無理があるということも見えてきました。
 先回もこの欄で書いたとおり、まさに、地域通貨は、稼ぐことよりも使うことの方がずっと難しいわけです。私は事務局スタッフとして試験運用に関わり、私自身もポートを使ってきましたが、試験運用とはいえ、やってみて初めて見えてきたことがたくさんあり、やはり何事もやってみることが大事だと思いました。通貨というのは、日常的に使われるものですから、地域通貨も日常的に使われるようになってはじめて本物です。それには、地域通貨という道具を使える人を増やすことよりも、地域通貨を日常的に使える場所(地域通貨市場)を開拓することの方が先ということです。しかし、このことは言い換えれば、長期的な展望をもって取り組んでいく必要があるということでもあって、この辺りが地域通貨を実践する上での一番大変なところであると同時にポイントでもあると言えそうです。

第7回 〜“マイナスなのにどうしてお金が使えるんですか?”〜
 LETSを体験される多くの方が最初に持たれる疑問の一つに、「マイナスなのにどうしてお金使えるんですか?」というのがあります。LETSを採用している千葉のピーナッツクラブを始められた村山和彦さんは、「LETSは通貨ではなくシステムなんです。だから、ピーナッツは地域通貨ではなく、LETSと呼んで下さい」と言われています。お金(円)は持っていないと使えないけれども、LETSはお金ではないから、持っていなくても使えるというわけです。よく考えてみると、お金は単なる単なる交換手段であって、本来それ自体には価値のないバーチャルなものなのですが、私たちはいつのまにかお金に支配され、お金がないと生きていけないと思いこまされてしまっているようです。交換機能に特化したLETSに日常的にふれると、いまのお金のシステムがだんだん見えてきます。
 先日、宮沢蔵相が国会で「わが国の財政は破綻寸前」と発言し、陳謝したという出来事がありました。バブル崩壊以後、景気回復は政治家のかけ声だけで、実効がなかなか伴ってきていません。株価は一時12,000円を割り込み、円相場も下落気味で、円中心の経済システムが揺らいできていると感じる人も増えていますが、働き盛りのお父さんの自殺者が年間3万人を越えているという事態はかなり深刻です。最近では、税制調査会会長の加藤寛氏までが、「信頼貨幣への移行」と題して、地域通貨の拡大を奨励する発言をしています(2001年3月26日中日新聞朝刊「時代を読む」)。
 アメリカで最も有名な地域通貨「イサカアワー」がスタートしたのはアメリカの景気が底を打った1991年だったというのは象徴的です。日本国内の地域通貨の取り組みも、当初は市民団体中心だったのが、 最近では自治体や商工会議所、商店街などの事例が増えていて、実験段階から実践段階へと移りつつあると言えます。
 昨年(2000年)10月から、私たちもLETS“ポート”の試験運用を行いながら、それと平行して「中心市街地の活性化問題に対する地域通貨の可能性」というテーマを設定して、商店街の方々や市役所の職員と一緒に学習を重ねてきました。1日限りでしたが、3月には商店街のお店でLETSを使ってみる実験も行いました。市街地の活性化は、商店だけ、行政だけ、NPOだけでは限界がありますが、そこに地域通貨を持ち込むことで、協働するきっかけが生まれます。そこでお互いの持つ能力や資源を充分に引き出し合うことができれば、ひと・もの・お金・情報の新しい循環が生まれていく可能性があります。
 地域通貨はお金(円)と逆で、「稼ぐのは楽だけれど使うのは難しい」と言われます。しかし、だからこそ地域通貨は、お金にとらわれお金に使われる人間から、お金を主体的に使いこなしていく人間へと、意識の転換をもたらしてくれるツールと言えるのです。

第6回 〜人はなぜお金という道具を生み出したのか?〜
 2000年11月25日の全国地域通貨サミットでは、地域通貨の実践者、研究者、これから始めようとされている方々が文字通り全国から集まり、熱気あふれる議論が行われました。ゲストの方が前の方で話しているだけのシンポジウムにはしたくなかったので、参加者ひとりひとりが発言できるワークショップの時間をできる限り長くとったのですが、短い時間ながら、真剣なやりとりが行われました。
 当日の議論の中でいろいろな課題が浮き彫りになったのですが、今、ゲストの方々とのやりとりやワークショップの記録などを振り返りながら強く感じることは、何のために地域通貨を導入するのかという目的が明確になっていない方が結構多かったということです。
 そもそも、今のお金のシステム(円などの国民通貨)がさまざまな問題やひずみを生み出してきた原点には、あくまで手段にすぎないお金を、目的と取り違えてしまったところがあると思うのですが、地域通貨も道具である以上は、お金と似たような道をたどってしまう危険性は十分にあります。つまり、目的が先にあって、道具は後から生まれてきたものですから、使う人が何を望みどのように使うかでその結果は変わってくるからです。
 たとえば、ペーパーカッター、果物ナイフ、斧やのこぎりなど「切る」機能を持った道具はいろいろありますが、リンゴを剥くという目的があってどの道具を使うのかが決まるわけで、目的がはっきりしていないのに、道具の機能や問題点をあれこれ議論しても始まりません。目の前にリンゴがあれば、果物ナイフが人を殺める凶器にもなり得るという問題があるからといって使わない人はいませんし、そのときにノコギリの問題点を議論する必要はありません。
 もちろん、さまざまな地域通貨に共通している目的は、「お金によって生み出された問題を解決すること」であるわけですが、実はお金によって生み出された問題というのは、悪人たちの仕業でも誰かの陰謀でもなく、他でもない私たち自身が生み出してきたものです。したがって、そうした問題を自分自身の問題として受けとめて考えていく姿勢が必要です。
 いま、地域通貨が日本全国で誕生していて、その数は100を超えたとも聞きます。地域通貨に対する人々の関心の高さは、「お金」という道具が持つ果てしない魅力によるものでもあり、多様な生き方を人々が求めるようになったということの現れでもあるでしょう。中にはこうした現象を「システム依存症」と指摘する人もありますが、問題が表面化していることはむしろ健全な状態だと受けとめ、そうした問題と向き合い、折り合いをつけていくチャンスが到来していると考えてみてはいかがでしょうか。
 地域通貨は、「人間はなぜお金という道具を生み出したのか」という奥深いテーマを考えることにつながり、「私たちはこれからどう生きていくのか」という問いを考えることと無関係ではありません。こうした諸々のことを考えさせてくれるこの地域通貨という道具に対する興味と関心は尽きず、これからもさらなる可能性を追求していきたいと思います。

第5回 〜“お金でないお金”で新たな社会のシステム作りを!〜
 25日に予定している「全国地域通貨サミット」は、事前申込者だけで定員の50名を越えてしまい、愛知県や岐阜県などの近隣地域だけでなく、仙台や神戸、大阪、東京、静岡、長野、金沢といった遠方からも申込者があり、地域通貨に対しての関心の高さが伺えます。
 また、10月22日から寺子屋プロジェクトでも地域通貨の試験運用を始めましたが、県内の動きとしては、11月から2カ月間、県庁内で地域通貨「大夢(タイム)」の試験運用が始まったほか、津にある三重県の市民活動センターでも、センターの運営に地域通貨を導入しようと、実現に向けて動き出しています。松阪では今年の7月から月1回の研究会が始まり、伊賀町でも既に始めているグループがあるという情報も入ってきましたし、新聞紙上で地域通貨のことが取り上げられることも頻繁になってきました。
ところで、こうした地域通貨の運営にあたっているところの多くはNPOだったり、NPO活動やまちづくりの市民参画を推進するグループがほとんどです。NPOというのは、行政でもなく、企業でもなく、無償でサービスを提供するボランティア団体でもない中間的な存在ですが、昨今のように日本の社会でもNPOに関心が集まってきたのは、これからの社会は、行政と企業のサービスだけではやっていけないという認識が人々の間で広がりつつあるからだと思います。地域通貨のことをある人は“すきま通貨”と呼んだように、お金での取引でもなく、無償でもない──つまり、お金で評価できないものやサービスも積極的に評価して行こうとしている点で、非常にNPO的な要素をもったものといえます。
 たとえば、1万円札が1万円の価値を持つのは、国家が保証しているからですが、その保証の裏付けがなければ、1億円のお金もただの紙切れにすぎません。もちろん、「国家がなくなる」というようなことは非現実的で考えにくいのですが、国家による保証の裏付けのない通貨を自ら作り出し、流通させることに関心をもつ人が増えてきたというのは、円やドルの価値は絶対的なものではないし、今まで官僚や政治家ばかりにお任せの状態だった社会のシステム作りを、自分たちでも担って行こうと考える人が徐々に増えてきているということの現れと言えるように思います。
 地域通貨は、“お金”ではありません。しかし、お金を否定するものではなく、むしろお金によって生じてしまったすきまを埋め、お金だけではできないことを実現して行く“お金ではないお金”なのです。

第4回 〜使う人の生きざまを際立たせる地域通貨〜
 地域通貨システムの一つで、現在世界で最も多く使われているのがLETS(Local Exchange Trading System・地域交換取引制度)ですが、こうした制度自体、多くの人にとっては想定外のものですから、言葉だけで説明しようとすると大変です。そこで、LETSの目的や効果などについて、実際に体験しながら理解できる“LETSゲーム”が用意されています。地域通貨に関心を持つ方が最近増えていて、「地域通貨について学習したい」という要望が各所から寄せられ、四日市の他でもすでに伊賀上野、鈴鹿、桑名、津、東京など、各所にてこの“LETSゲーム”のワークショップを開催しました。参加された方の感想はさまざまですが、よく聞かれるのは、「“地域通貨”と聞いて、何か難しそうだなあと思っていたが、とても簡単でわかりやすいものだった」という声です。LETSは本当にシンプルにできていて、一度体験すれば誰にでも理解できるシステムです。
LETSは1983年に、カナダのマイケル・リントン氏が開発したものですが、LETSの考え方に類するものは以前から存在し、日本でも古くから「結(ゆい)」と呼ばれる相互の助け合いのしくみがありました。屋根を葺き直すときに、近所同士が仕事を休んで協力してやる「屋根普請」、共同で葬儀を出す「模合い(もやい)」などがそうです。また、現在の保険や金融の原型とも言われる「講(こう)」もありました。講のうち「無尽(むじん)」と呼ばれるものは、たとえば10人の仲間が一人が毎月1万円ずつ出して持ち寄って10万円になる、そのうち1万円はみんなで飲み食いして楽しむ、残りの9万円をそのとき必要な人に用立てる──今月は権兵衛さんのところが水害に遭って急な物入りだし、来月は源治さんのところで祝言があるからよろしく頼むよ、というような具合です。
ところで、このLETSゲームのときには、私たちは進行役やファシリテーターという立場で参加させて戴いています。それは、私たち自身も、地域通貨については勉強しはじめたばかりであって、知っている範囲のことはお伝えできますが、私たちが何かを教えるというよりは、ゲームが終了した後に、参加者全員で感じたことや疑問点などを自由に意見交換しながら、共に考える時間を大切にしているからです。そこでは本当にさまざまな意見が飛び出すのですが、時折参加された方の価値観や生き方を伺えることがあります。“お金”には、価値を保存したり交換したりする役割があるので、どう使うかということの中に、その人が大切にしているものや価値観が出てくるわけですが、地域通貨もお金とは別物であっても基本的に交換手段であることには変わりがないので、おそらくはLETSゲームが“鏡”のような役割を果たして、その人のありのままの姿が浮き彫りになってくるのでしょう。
 一人ひとりの生き方が際立つようになれば、結果として新たな出会いの機会も増え、地域の活性化にもつながっていくのではないかと思います。そうすると、地域通貨は、一人一人が自発的に地域社会に参加して行くきっかけづくりの道具であり、地域を面白くしていく可能性を持った道具だと言えるでしょう。

第3回 〜地域通貨はすべての問題を解決する万能薬?〜
 地域通貨のことを“暖かいお金”“善意のお金”“エコマネー”という場合があるようです。これらの名前は何となく良いイメージを与えがちですが、中には「地域通貨とはそんなに良いものなのだろうか?」と疑問を持たれる方もあるのではないでしょうか。新聞記事やマスコミの報道は、良い面だけを強調する傾向がありますし、そうした情報を鵜呑みにしてしまう姿勢もまた考えもので、「地域通貨だから良いお金」「地域通貨を導入すれば問題が解決する」と単純に考えてはならないと思います。
 いま全国各地で地域通貨を導入する動きが起きていますが、その多くは「商店街や中心市街地を活性化しまちづくりに活かしたい」「崩壊した地域コミュニティを再生させたい」「高齢者の福祉に役立てたい」「NPO団体の連携を図りたい」「ゴミ問題を解決したい」というような具体的な目的を掲げています。ですから、地域通貨が成功するかどうかのポイントの一つは、地域通貨を導入することで解決したい問題や実現したいことがあるかどうかであり、地域通貨とはそうした困ったことや悩みをオープンにして、みんなで考えて行こうというきっかけをつくるだけにすぎないということです。
地域通貨のことをいろいろな人に話してみて感じることは、今のお金の制度に何の疑問も感じていない人には、地域通貨は理解しがたいものであるということです。おそらく、そうした人には地域通貨は必要でなく、無用の長物であると言ってもいいでしょう。
 たとえば、草津の“おうみ”の場合は、草津コミュニティ支援センターの運営に行き詰まって、それを解決するために導入を考えたそうです。また、私の知り合いで有機農産物を栽培しているお百姓さんは、地域通貨のことを少し話しただけですぐに納得して下さったのですが、それは、そうした農産物を一般の流通経路にのせてしまうと、たちまち市場原理による価格競争に入らざるを得なくなり、無農薬で栽培することで発生するコストが賄いきれず経営が成り立たたないという問題と常に直面しているからだと思うのです。
 繰り返しになりますが、お金はあくまで道具ですから、お金そのものに善悪があるわけではありません。「地域通貨は暖かいお金である」という話はあくまで相対的な表現で、円やドルが冷たいお金であるということはないと思います。地域通貨は、円やドルの国民通貨制度の持っている問題点を補完する働きをもっているにすぎないわけですから、それを活かすか殺すかはあくまで使う人間側の問題であることを忘れてはならないと思います。地域通貨はすべての問題を解決する万能薬ではないのです。
あなたは、私たちの社会がどんな社会だったらいいと思いますか? 地域通貨はそうした私たちの思いや願いを実現して行くための一つの道具なのです。

第2回 〜地域通貨の多様性〜
 さて、「地域通貨っていったい何だろう?」と考えてみるとき、いきなり大きな困難につきあたります。というのは、“地域通貨”“地域マネー”“エコ・マネー”“コミュニティ・マネー”“LETS”というようにさまざまな呼び名があることをはじめとして、円やドル、マルクのような国民通貨とは違うので、“通貨”と称さず“クーポン”と称しているグループがあったり、必ずしも流通をひとつの地域だけに限定していないグループもあったりして、どれがいいのかを考えるとわからなくなってしまうからです。
 しかし、よくよく考えてみるとそれは当然のことと気づきます。つまり、地域というのは、“多様”であることがまさにその生命線であって、ひとつの名前でくくってしまったり、一面だけ見て全体を判断しようとしたりすれば、
その特性は失われてしまいます。だから、いろいろあってそれでいいのです。ただ、話しがややこしいので、ここでは“地域通貨”を、さまざまな新しい通貨を総称する言葉と定義して話を進めます。
 地域通貨を大きく分けると、カナダのマイケル・リントン氏が考案した“LETS”やドイツの“デーマーク”のように、通帳を発行して個人取引を基本にする型、アメリカの小都市イサカで使われている“イサカアワー”や草津コミュニティ支援センターの“おうみ”のように紙幣発行を基本とする型、アメリカの弁護士エドガー・カーン氏によって考案された“タイム・ダラー”や愛媛県関善村の“だんだん”のように時間預託を基本とする型の3つに分かれます。また、取引するサービスの内容を限定しているものもありますし、インターネットを通じて電子決済ができるものもあるなど、さまざまなスタイルがありますが、それぞれに一長一短があって、どれが優れているということではありません。地域通貨はあくまで道具であり媒体ですから、先にシステムありきではなく、地域性や地域通貨を導入する目的が先にあって、それにふさわしいスタイルが出来て行くということになります。そして、こうした理屈よりももっともっと大切なことは、「銀行ごっこ」や「ままごと遊び」のノリで、一人一人が楽しくやれるかどうかだと私は思っています。
 地域通貨を“すきま通貨”と呼んだ人がいましたが、犬の散歩、お年寄りの話し相手になるといった、お金にはしたくない、ちょっとした善意やサービスを積極的に評価して行くことを通じて、一人一人が自分の隠れた能力に気づいたり、人に役立つことが喜びにつながっていきます。その喜びのもとは、自分が生きているという実感や自分の意志で決められること、自らすすんで参加している意識にあるのではないでしょうか。
 一人一人がやりたいことやできること、思いや夢を持ち寄り、この指とまれ方式で、この四日市の地で地域通貨をスタートさせたいと思っています。どうぞご参加下さい。

第1回 〜LETSの可能性と新たなコミュニティ〜
◆今、なぜ地域通貨か?
 今年最初の事務局会で、これからの活動計画について話し合った折に、「今年は『地域通貨』を年間テーマとしてはどうだろうか」という意見が出されました。今秋に予定されているEXPO四日市2000や生涯学習フェスティバル、まちづくり交流フォーラム研究集会などのイベントについても、「地域通貨」をテーマにした企画で出展することで、四日市NPOひろばの活動がまわりの人々にも伝わりやすいのではないかということで、ほぼ全員一致で決まったのでした。
 そもそもこうして「地域通貨」がクローズアップされてきたことの発端は、昨年11月の四日市NPOひろば学習会で、LETSゲームのワークショップを開催したことがきっかけでした。しかし、その場に参加されなかった方には、今どうして「地域通貨」なのか、さっぱりわからないのではないかと思いますので、これから何回かにわたり、「地域通貨」について書いていきたいと思います。
◆ミヒャエル・エンデのラストメッセージ
 LETSゲームは地域通貨のシステムや効果などについて、実際に取引を体験しながらわかりやすく学べるツールですが、ゲームを体験するだけではそれぞれの理解がまちまちの状態のままになってしまいますので、ゲームが終わった後に、NHKのTV番組『エンデの遺言 〜根源からお金を問う』のビデオを参加者全員で見て感想を話し合う時間を持ちました。
 『モモ』や『ネバー・エンディング・ストーリー』で知られるドイツのファンタジー作家ミヒャエル・エンデは、環境破壊、貧困、戦争といった今の社会の問題を追求して行くと、最終的には経済的な問題に突き当たることに気づき、晩年はお金のことを研究していました。それで、“お金”をテーマとした新しいTV番組の製作をNHKに提案していたのですが、エンデさんはその番組が完成するのを見ることなく、ガンのために亡くなってしまったのです。
 残されたのは、NHK取材班が製作のための打ち合わせにエンデさん宅を訪れたときに録られた2時間余りにわたるインタビューの録音テープのみ……。そのテープの内容を手がかりに、エンデさんが皆さんに一体何を伝えようとしていたかを一緒に探っていくという設定でこの番組はスタートします。
◆お金は新しい関係を作り出す道具
ヘッジファンド、デリバティブ……とお金そのものが商品として取引されるマネーゲームが横行し、まるでお金が世界を支配していると思えてしまうような現代の社会ですが、エンデさんは、「すべての生命は有限なのに、お金だけがなぜ無限に増殖してなくならないのだろうか?」という問いを投げかけます。そして番組は、老化する貨幣システムを説いたシルビオ・ゲゼルという経済学者を取り上げ、1929年の世界恐慌の時にゲゼル理論を実践して景気回復を果たした例や、アメリカの小都市で発行されている“イサカ・アワー”やドイツの“デーマーク”など、世界各地で実践されている地域通貨の取り組みを次々と紹介し、カリフォルニア大学バークレー校のベルナール・リエター氏の「お金とは、人と人との新しい関係を作り出すための“道具”である」という言葉で結びます。
「お金はあくまで幸せになるための道具であって目的ではない」という話に理屈の上では納得しながらも、現実には「やっぱりお金がなくなったら生きて行けないのではないか」と不安に思っている人がほとんどではないかと思うのです。実はこの私もその一人だったのですが、このLETSゲームや『エンデの遺言』の番組は、そうした思い込みを一掃してしまうようなインパクトのある内容で、「目からウロコが落ちた」という感想を述べられた方がたくさんありました。
 実際、『エンデの遺言』は視聴者からの反響もかなり大きかったようで、この番組は現在日本各地で起きている地域通貨ムーブメントのきっかけとなったようですし、この番組の内容は『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』(四六判261ページ・NHK出版・1575円)という1冊の本にまとめられています。
◆お金のシステムを問い直すこと
お金はあくまで道具ですから、お金自体には善悪はなく、言うなればお金のシステムがおかしいのです。お金が商品のように売買されることで、パン屋でパンを買う代金としての「お金」と、株式取引所で扱われる資本としての「お金」と、二つの種類のお金が生じることになります。IT革命、コンピュータ・ネットワークなどによりグロバリゼーション(世界市場化)がさらに加速され、格差がさらに格差を生み、利がさらに利を生むマネーの運動を可能にしてしまいます。
「地域通貨」は、そうした“マネーの暴力”から地域の経済を守り、貨幣を実際になされた仕事やものと対応する価値としてもう一度位置づけようとする試みと言えます。しかし、グローバリゼーションの流れ自体を押しとどめることはおそらく不可能であり、「地域通貨」は円やドルなどの国民通貨を否定するものではありません。国民通貨と共存しながら、自分たちの生き方や大切にしたい価値観を実現し、そうした人々のゆるやかなネットワークを形成し、新しいコミュニティを形作る可能性をもったオルタナティブな(もう一つの)通貨制度といえます。
◆レッツ・トライ“LETS”
私たちは今、この四日市を中心に地域通貨のシステムとしてLETSを導入する準備をすすめています。LETSはあくまで手段であり道具ですからLETS自体が目的ではありません。LETSを通じて新しい地域経済のシステムやボランタリー(自発的)な組織を構成する原理を研究し、新たなコミュニティを構築していく可能性を探って行きたいと考えています。
 関心のある方多数のご参加をお待ちしております。