連載 NPO徒然草
      伊庭壽哉 記



第12段 NPOをサポートすること
 いろいろな分野でNPOが活躍するに伴ってNPO活動センターやNPO活動を支援するNPOが注目されています。こういった中間支援組織はインターミディアリーと呼ばれ、NPO先進国のアメリカでもNPOが元気なのはインターミディアリーが積極的に活動を行っているからだと言われています。こういった組織がどのように活動すると活性化するのでしょうか。
 NPOの活動にとって必要な資源は、人・もの・資金・情報と言われています。NPOはこれらをうまく組み合わせて、市民ニーズに合ったサービスを提供して行くわけですが、これらの資源をうまく見つけ出さなければなりません。活動に参加してくれる人材、事務所や事務機器、活動のための資金、そして自分たちを取り巻く状況や新しい知識などどれ一つとっても大変なことです。この問題を少しでも解決しようとする目的でいろいろな試みがなされています。
 市民活動センター、市民ファンド、NPO関係のニュースレターやホームページ、そして支援のためのNPOなどです。行政もNPOのマネージメント能力を向上させるために、講座を開いたりしています。これらの取り組みは、NPO活動発展のために無くてはならないものです。教科書風にいえば、排除不可能かつ非競合性が見られ純粋公共サービス若しくは準公共サービスといえます。言い換えれば、NPOにとって社会的共通資源ということが出来ます。NPOが社会をより豊かなものに作り替えていかなくてはならないのであるなら、NPOサポートも無くてはならないものでしょう。
 NPOサポートについて、「NPOサポートはNPOでなければ絶対にだめで、行政は撤退すべきもの」という議論があります。現実をみれば、採算面で行政が担った方が有効な分野があります。行政には行政の論理があってNPOにはなじみにくいこともあります。しかし、個別NPOもさまざまなバイアスがかかっていることも否定できないでしょう。
 こういった問題を緩和させるためには、NPOを取り巻くひとつのマーケットを造り上げ、NPOサポートを組織としてのNPOに任せるのではなく、NPOを取り巻く関係をもたせていわば「NPOマーケット」を造り上げることでしょう。組織としてのN
POは資源を蓄積して活動します。そのNPOは「NPOマーケット」をとおして他のNPOの資源を活用することができます。環境NPOが子育て支援活動と結びついたり、コンピューター関連のNPOが障害者団体と関係を持ったりするのがその例だと思います。こういった組み合わせ自由な活動こそNPOの神髄で、「見えざる手」としての「NPOマーケット」の役割でしょう。
 現在のパソコンの原型になっているアイコンやマウスは、もともとゼロックスの研究所で開発されたものの開発に熱心ではなかったものを、アップル社やマイクロソフトによって製品かされたもので、見えざる手としてのマーケットの活用することの実例を示すものではないでしょうか。

第11段 NPO法人の多いまちはどこ
 NPO法が施行されて3年近くなり、全国で4000近くの団体が法人格を持つようになってきました。四日市大学の松井先生の指
摘によると、都道府県によって法人の数にばらつきがあるという事です。1999年10月1日現在の都道府県人口をNPO法人認証数で割った数が次の表です。(1法人あたりの人口数)
 1万人台   1(東京)
 2万人台   5(三重、京都、群馬、栃木、宮城)
 3万人台   7(大阪、北海道、高知、静岡、神奈川、岡山、福岡)
 4万人台  15(これ以外)
 5万人台   8(沖縄、長崎、和歌山、奈良、福井、新潟、宮崎、秋田)
 6万人台   6(香川、岐阜、福島、大分、青森、徳島)
 7万人台   2(愛知、愛媛)
 8万人台   1(埼玉)
10万人台以上 2(富山、鹿児島)
 東京都の第1位は当然としても、三重県が第2グループで健闘しています。市民的自治意識の高揚や地域活動の伝統などが影響しているかもしれません。また、行政のNPOに対するサポート体制も関係があるといえるでしょう。四日市市内のNPO法人数は20団体(5月1日付)ですので、人口比では1万人台の東京都と同じ水準になります。四日市市がNPOサポートに力をいれた結果でしょう。
 このようにNPOの活動が盛んになれば、市民活動が多様になり行政サービス以外の公共サービスが生まれてくるわけですから、NPO先進地は市民にとって住みやすい所と言うことも出来るのではないでしょうか。
 生まれてくるNPOと反対に、消えていくNPOについても考えておく必要があります。アメリカなどではNPOの半減期があって、約10年だと言われています。ある年に生まれたNPOは10年経つと半分は解散しているという意味です。NPOのサービスが市民に受け入れられなかったり、何らかのトラブルがあって消えていくと言われています。
 「会社の寿命」という本があります。社会経済状況によって栄える企業はどんどん換わっていくという内容でした。NPOのマネージメントも企業のそれに劣らずたいへんだということでしょうか。

第10段 コーポレイトボデイ
 「法人」を英語でいうと、コーポレイトボデイとかリーガルボデイだそうで、「法律で出来た身体」という感じがして、日本語より実感が湧いてきます。NPO法人の頭や手足は発育途上にあるのでしょう。
 最近、ある財団法人に国会議員が絡んでいたり、社会福祉法人の関係者が逮捕されたりするなど、公益法人の在り方に疑問を持たざるを得ないようなことも起こってきました。
 よく言われているように、NPO法施行以前は、日本では公益法人は原則的に設立が禁止されているのを、所轄庁が許可をして設立を認めるというものでした。NPO法はその状況から、市民に公益法人設立の門戸を開いたものでした。日本の制度は営利法人については整備されているが、非営利法人についてはあまり進んでいないことも指摘されています。
 そのひとつに共益団体があります。営利団体と公益団体の中間に有る非営利団体、例えば、同業者組合、同窓会などの共益団体の法人化の法律整備が検討されています。また、今は地縁団体としてしか法人化が出来ない自治会・町内会なども共益団体として法人化出来る、という意見もあります。
 NPOは自発性をひとつの特徴にしていますが、その活動が進んでいくとどうしても地域活動としての性格が出てこざるを得ません。公益と共益、自発性と地縁性は、概念としては区別できるのでしょうが、実際の活動になるとなかなか難しいのではないでしょうか。
 日本NPOセンターの山岡義典氏は、住民活動における地縁性と自発性に触れ「住民団体でもNPO法人になるものも次第に増えてこよう。…そのことは地縁組織の拡散・弱体化を促進する。しかし一方では、生活の場としてのゆったりとした人間関係の確保は欠かせない。(住民活動21世紀の提言)」として、新しい地縁組織の発生を予想しています。

第9段 「恍惚の人」は今
 有吉佐和子さんが書かれた「恍惚の人」という有名な小説があります。ストーリーは老人性痴呆症になった、義理の父親を家庭で介護するというものです。この小説の書かれたころから、高齢者の在宅介護の問題がクローズアップされ、介護者に対する経済的支援やホームヘルプサービス、訪問看護等への行政の関与が課題となって来ました。さらに特別養護老人ホームの設置や痴呆症老人を対象にした特養なども作られるようになり、それに伴い行政が直接収容施設などを作ったりする代わりに、社会福祉法人(NPO)に補助金を出して施設設置や運営をやってもらう方式に切り換えるようになってきました。
 介護保険制度の発足では、いままで思いもよらなかった福祉の分野に営利企業も進出することになりました。また、社会福祉法人だけでなく草の根のNPOも福社の分野に進出しています。
 ・個人責任一・行政の関与一・非営利団体(社会福祉法人など)への拡大一・営利企業の進出、と福祉の担い手が多様になり時代と共にシフトしてきたのです。各セクターの範囲や分野は固定的なものではなく、国民の意識や社会状況などによって変化していくものなのでしょう。
 公的機関が公共サービスを税金でまかなうことは、営利企業だけでなく、NPOの進出を阻害してしまう可能性もあります。こうした分野から行政が撤退することは行政のスリム化やNPO支援にとって意味のあることでしょう。
 大阪大学の山内直人助教授は市場での競争にふれ「市場メカニズムに様々な欠陥があり、これを補正していく必要のあることは当だが、NPOといえども市場の大海の中でしか生きていけないことも厳然たる事実である。」(日経新聞、経済教室)としています。

第8段 NPOは儲からない株式会社?
 ある企業の経営者が、冗談で自分の会社のことを「利益があがらないのでNPOみたいだ」と言われました。冗談なのですが、良くにているところもあります。
 前回同様、総合研究大学院大学の出口教授の図を一部分変更して考えてみましょう。
 NPOに内部留保された資源は、再び公共サービスに振り向けられます。企業の場合の余剰金は、再投資される以外は株主や役員などに配分されるのが普通です。
 また、ボランティアや寄付金などは企業にはまわっていかないのが普通です。「スーパーのレジ係が忙しそうなのでボランティアをしてやろう」という方はいないと思います。また、経営の苦しい企業に寄付をするという話も聞きません。NPOにボランティアや寄付金等が集まるのは、その活動が公共のために役立っているからです。
 これをNPOの側から考えると、いかにして自分たちの活動が社会に役立っているかを、示していかなくてはならないことを意味します。そのために、NPOは情報公開や説明責任を負う必要が出て来ますし、そのことが市民の支持をえる手段になるのです。公共サービスを担うもう一つの主体である、行政もまた情報公開や説明責任を負う必要があることとも似ています。
 企業は収益を社会に全然還元しないかというと、そうではありません。日経連の「1%クラブ」は有名ですし、ビル・ゲイツの作ったいくつかの財団はアメリカでも最大です。しかし、企業の原則はあくまでも利潤の追求でしょう。
 NPOと企業の似ている点は、どちらも「心の投票」がよりどころで、市民もしくは消費者の支持を得て活動していくところでしょう。

第7段 NPOは心の投票
 四日市市内のNPO法人も増え、NPOを特別なものと考えず市民活動として受け入れる考える方も多くなってきました.つぎの図は、政府とNPOの行うサービスの違いを表したもので、両方とも公共サービスを提供しますが、サービス供給の仕組みとインセンティブに違いを示しています。
 公共サービスの多くは誰もやりたがらないので税金で負担しますが、政府の提供するサービスにたいしては、利益団体が政府に働きかけることによって政策を引き出します。有権者の行動は「政治の投票」ということができます。
 NPOは公共的な「何か」を、例えば、環境・福祉・国際など、市民に提示することにより賛同者を獲得していきます。賛同者はボランティアだったり寄付者だったりします。公共的サービスであっても、こういった市民の行動によって、行政ではなNPOにより実現されることがあります。このプロセスはNPOが示すメニューに対する「心の投票」ともいえるものです。
 企業は、企業活動の源泉を消費者から得ています。初期投資をどのようにして回収するかが企業活動のテーマでしょう。
 NPOの活動は、どちらかというと企業活動に近いのは市民にメニューを示して支持を得ていくところにあるのでしよう。NPOのサービスと市民の支持はつながっていますが、行政のサービスは納税者とは直接つながっていないのです。

第6段 NPOは、ええ所取り
 あるNPOの講演会で「NPOと自治会の違いはどこか、自治会はゴミ問題に取り組み環境をやるし、非行問題も取り組んで青少年健全育成もやる。12分野のほとんどをカバーしている、自治会こそがNPOだ」と、自治会長と思われる方が講師に質問を投げかけていました。
 そのときの回答は、「NPOは民間でなくてはならないので、行政とつながった自治会町内会はNPOとは言えない」と言ったものだったと思います。当の会長さんは分かったようなそうでないような表情でした。
 このことを整理するには、地縁団体である自治会の特徴をハッキリさせなければならないでしょう。自治会は、1.会員が一定の地域に限定されていて入退会の自由はほとんど無い、2.会費組費の負担が義務づけられている、3.団体活動への参加が義務づけられている、4.活動の受益者は会員に限られている、5.行政の末端機関の仕事もある、にまとめられるのでしょうか。
 同じ市民のやっている活動なのにNPOとはまったく違います。NPOそのものの定義ではありませんが、よく引き合いに出される言葉として、「やりたい人がやる。やりたくない人はやらなくて良い。やっている人の足を引っ張らない。」というのがあります。自由意志で社会の資源を使って社会の課題に取り組むこと、地縁団体の活動との隔たりはどこから来るのでしょうか。
 社会全体の利益=公益と、地域のみんなの利益=共益、の違いがあるからです。自分の庭をきれいにすることは普通ですが、ある人が町内の掃除をすれば立派な人と言われるでしょう。町内が総出で町内清掃をやるのは普通ですが、町内総出で湯の山街道全部を掃除したとしたら、どうでしょうか。
 NPOは原則として、サービスエリアには限界がありません。この特徴がなかなか理解されないのは、日本の社会での市民の活動は地縁団体の活動中心になっていたため、地縁団体を前提としないNPOなどの活動が判りにくいからだと思います。
 自治会活動は、全員加入の原則や会費の徴収などもあって、今までの活動から外れることはあまり許されないと思います。自治会の活動分野が、公衆衛生・防火防犯・親睦や行政への協力などの限られた分野になってしまうのは仕方がないことです。しかし、NPOは自由意志で活動を行うわけですから、広い分野の活動ができて「NPOは、ええ所取り」という声は分からないわけではありません。このような状況を克服して新しい地域活動をうまくおこなっている地縁団体も生まれてきました。
 NPOの活動は、どちらかというと企業活動に近く、地縁団体の活動はどちらかというと行政の活動に近いのです。

第5段 「NPO」論さまざま
 NPOについての考え方は、10人寄れば10の意見に分かれると言われたりします。
 政治的NPO論になるのでしょうか、「日本社会の構造は行政と企業の癒着構造があって問題解決がされないまま先送りになっている。これを解決するのがNPOなどの市民セクター」である、という主張。また「日本は国・地方の財政に巨額な負債があり、官民の役割分担をはっきりさせ、負債を孫や子の代に残さないためにも民の力が必要だ」という財政経済的な主張もあります。
 さらに「環境・福祉などを考えても分かるとおり、NPOは社会の問題を解決するためのものであって、市民のボランタリーな動機によって支えられるべきである」といったミッション至上主義といったもの。反対にNPOは「営利企業では出来ない部分を担うもので、株式会社との分業は必要だ」と割り切って、二本立てで活動する団体もあります。
 このように、並列的に書いていきますと、それぞれの妥当性を理解できますが、実際の場面で相互に分かり合うことは、簡単ではないのが実情ではないでしょうか。NPO間の協働を図らなければならないときに、各NPOの出自によって活動に対する意識が違うため、意見の一致が得られず混乱したりします。NPO同士は仲が悪いと言われることもこんなことと関係しているのではないでしょうか。
 近所のパパママストアの株式会社と、10兆円を越える資産を持つ世界的企業とでは、名前は同じ株式会社といっても何もかも違って当たり前なのでしょう。それが、NPOとなると「違い」にたいして、センシティブになりがちになりませんか。冗談で、儲からない会社はNPOだと言う人もいるくらいです。
 NPOのNPをNon-profitではなく「Not for profit」だ、という意味はそこにあるのでしょう。大阪ボランティア協会の早瀬さんは、その後に「but for public」と続けて公共性を説明しています。公共性はNPOにとって命とも言われていますが、活動のどこが公共なのかは具体的な説明ができるはずのもので、今まで活動してきたからという理由だけでそれが自動的に備わっているというものではないのでしょう。
 情報公開もしない、説明責任も果たさない、といった団体は論外ですが、そうでないなら、「違い」はあっても尊重しあうことができると思います。
 「違い」は新たな価値の創造につながるという意見もあります。「違い」は自分の持っている知識や情報と同じでないから生まれ、違うもの同士がつながることが大切であると考えるのです。3月に四日市市女性センターで講演をされた慶応大学の金子教授は『ボランティア』(岩波書店)で次のように述べています。
 「(略)…(すでに知っていたり活動の元になっている考え方など)静的情報は、既存の枠組みの中で、効率的にことを処理するには寄与する。(略)…情報は、蓄えられているだけでは、力を発揮しない。やりとりを交わす過程の中ではじめて、情報に意味がつけられ、価値が発見され、新しい解釈−ものの新たなる理解や、新しいやり方−が生まれてくる。そのやりとりの中で生まれてくるものが動的情報である。世の中の既成の枠組みを動かし、新しい関係を切り開き、新しい秩序を作っていくのは、動的情報であり、この動的情報が発生するプロセスが、ネットワークである。」
 「違い」はNPOにとって必要なことだということになるでしょう。ネットワークということばを使うことがよくありますが、あまりこういった意味では使ってないと思います。
 市民を対象にした会場でNPOについて話をするとき、株式会社を例にとって「明治維新の中心になった勤皇の志士たちは、幕藩体制を変え、株式を持ち合ったカンパニーを作り国を興していくことを夢見た。カンパニーの百年の歴史はすでにご存じでしょう。NPOも成熟するには時間が必要なのではないでしょうか」と、いったりしたこともありました。

第4段 行政職員の悩み
 本年4月より地方分権がスタートしました。今までは地方自治とはいっても、国の事務の代行といった分野が有ったりして、地方と中央の関係は本当には対等ではなかったこともありました。今回一応、国・府県・市町村の事務の整理がされ、地方が行うべき事務の範囲も拡大しました。
 こういった地方分権時代だからこそ、NPOの活躍が求められます。NPOも行政の担っている部分に、是非関わって行きたいと考えています。
 このことを行政職員はどのように考えているのでしょう。三重県の協働事業研究会は県職員とNPO関係者のアンケートを実施して、NPOとの協働を妨げている要因の分析を行っています。
 それによりますと「行政の担当者は意識としてはNPOと対等だと理解するものの、参画段階に入ると公募という方式をとらず、特定のNPOや市民を選び依頼している」と分析しています。
 また、事業プロセスの、実行してチェックを行い次の改善につなげる部分が事業評価として大切ですが、この部分は職員だけで行っていることも指摘されています。
 職員の意識のなかの阻害要因として、NPOとの協働にあたっての「ルール」について不安などを指摘しています。「パートナーをどう選ぶかの明確な基準がない」「vの組織的信頼性をどう認識するかが難しい」などです。
 「vが見えない、何処にいるのかわからない」、また「本当に安定して仕事をやってくれるのか確信が持てないのでNPOとの関係を進めていけない」という職員の生の声もあります。
 四日市市では現行の事業の中でNPOや市民にやって貰った方が良いものをあげて、パイロット事業としてメニュー化しています。これからも随時事業の数を増やしていくことになっています。行政もこういった方向を模索しつつありますが、実際にやってみますと問題点も出てくるようです。
 例えば、3月末に実施しましたNPOマネージメント講座は「わくわくNPOプラザ」として市民団体に企画運営の提案を公募したところ3団体(1団体は途中で取り下げました)の応募があり、企画の審査になったので、審査基準を作ったり、どちらかをおとさなければならなくなり、担当職員も戸惑ったようです。
 今までであれば、その仕事を請け負ってもらえる団体は企業などの事業者に限られていたはずで、行政担当者にとって自分の仕事を執行する際の選択肢が増え歓迎すべきなんでしょうか。
 この調査で一番気になったところは、「NPOは行政に対して、否定的、攻撃的な先入観を持っている」と考えている職員が大変多かったことです。NPO側の意識も同時に調査していますが、「行政はNPOに対して、硬直的・指導的立場で接している」という意識の比率は行政の3倍になったと報告されています。行政もNPOも壁を作らずにいろんな場で話し合うことが必要でしょう。
 なかには、NPOの進出は営利企業の分野を侵害し、企業の業績を悪化させて、ひいては企業の社会貢献を阻害しNPO自身にも不利益になる、という懸念を表す方もあります。NPOも事業体として対等に市場競争に参加するわけで、いたしかたないことでしょう。
 市民と行政の協働事業を実施していく場合、協働の形には、市民参加・協働開催・業務委託・補助金支給・利用料減免などが考えられます。どれを選ぶかは、事業内容や目的などを考え、両者で選択していくことになると思います。

第3段 会員さんの悩み
 永年、ボランティア活動に携わってきた方に、ボランティアとして活動にはいってくる人の動機についてうかがいましたら、第一は時間にゆとりができたこと、第二は友達を作りたいこと、第三は自分や家族が世話になって助かったという経験を持っている人です、とのことでした。当然、社会や人の役に立ちたいという思いを持っている人でしょう。アンケート調査をしたわけではないが大体こんなところだろうということでした。反対に、やめていく理由を聞きましたところ、第一が人間関係の問題、第二が自分の思いと食い違ってきたこと、第三が時間がとれなくなったこと、だそうです。やむを得ない事情もあるのでしょうが、せっかくの活動が半端になるのは残念なことでしょう。
 ボランタリーな動機で社会貢献活動を行う人の意識として、自分の能力を生かすという考え方が注目されてきました。活動が自分の能力の発揮や開発につながる、また他人の喜びが自分の喜びであるといった「自己実現」の欲望なんだ、というものです。こういう考え方を心に秘めて活動に参加してくる方にとって、最も活動しやすい環境とは、どんなものなんでしょうか。
 ある心理学者の説によると、人間の満足感を決める要因は、物事が達成されること、自分の行動が評価されること、処理を任されてその範囲が大きくなること、その仕事そのものが好きであることだそうです。会員さんを腐らせるにはこの反対をやればよいのでしょうか。何をやって貰っても「ご苦労さん」とも言わず、細かいことまで注文をつけ、見栄えのいいことは自分でしっかりと持っていて、嫌がることを押しつけ、会の方向はいい加減に…。
 同じ学者が、満たされたからといって、満足感が増すものではないがこれが満たされていないと不満感を与える要因をあげています。第一はリーダーの質。第二が給与だそうです。単にお金だけを指すものではなく活動の評価という意味なのでしょう。第三が組織の方針とマネージメントです。市民活動ではこれがなかなかやっかいで、そのために活動に困難がでてくる場合もあるでしょう。もっとも、これはどの企業でも大切にしていることなので、組織にとっては永遠のテーマでしょう。第四が人間関係で、最後が労働条件だそうです。これも反対の状態を想定してみれば、すぐにわかってもらえると思います。この要因のことを、「動機づけ要因」と呼ぶそうです。
 わたしも最近やっとこ理解出来るようになったのかな、と思うことがあります。それは、活動への参加のあり方が、市民活動団体と地縁団体や地縁的な団体では違うということです。地縁団体は、ある地域に住んでいる人を原則として漏れなく組織して活動します。共同体として生活を支えあう面もあり、リーダーの強い権限が発揮される場面もあります。しかし、市民活動団体には自己実現を目指
して自由意志で参加して来るのですから、「動機づけ要因」が満たされることが必要になって来るでしょう。
 こういったことをメンバーが理解しているのとしていないのでは、居心地が全く異なってくると思います。

第2段 会長さんの悩み
 ある団体の会長さんとのお話です。「最近、新しい人がなかなか入ってこなくなり困っている。会長がなんでもこなさなければならなくなって困っている」。会員の減少が悩みのタネだそうです。その理由を尋ねると「今までの人とのギャップがあって新しく入ってきてくれる人がいない」「この活動はなじんでもらいにくいのではないか」ということなどをおっしゃってみえました。
 市民活動団体は、どうしてもなじめない人や個人の事情も出てきますので、新しい人が入ってこないと会員が減っていきます。これは団体側から見た新規加入者の必要性です。反対に外部からの目で見ると、団体の行う活動に惹かれたり、やっている様子が楽しそうだったり何らかの魅力が新規加入者をもたらすのでしょう。
 自治会などの地縁団体は、会員の獲得といったことを考える必要はありません。そこに住む人が会員ですし、近所つきあいの関係上最低限の参加は確保されます。しかし、市民活動団体への参加は自由意志によりますので、自治会のようにはいきません。会員の減少は団体の存続に関わってきます。こう考えますと、新しい会員が参加してこないということにたいして、必要な手だてを打つ必要があります。
 NPOなどの市民活動は、個人の自発的社会参加意志に基づいてネットワークやコミュニティでの社会的協力関係をつくりあげる、その基礎の上にたって、一つの価値観に基づかない多元的な価値観による活動を行います。だから、即応性、先駆性、個別性があり、緊急時や社会の変化に素早く対応できる可能性を持つ、といわれています。
 誰に強制されたものでなく自発的に参加するのですから、活動へのはたらきかけは相手のハートに響き、相手の共感を得て行動に参加してもらうのでしょう。説明と説得は違うといわれます。説明によって相手の心に生まれるのは理解で、説得は共感による行動を生みます。
 市民活動団体などのリーダーは共感によって団体を運営すべきであるというのは、そのあたりのことと関係しているのでしょう。企業などの組織運営とも違うし、地縁団体のそれとも違う部分があるようです。さらに、NPOなどの参加者はサービスの供給者と利用者との二重の性格を持つといわれています。我々の周辺で、ボランティアの参加者が利用者になったり利用者からいろいろな援助を受けたりといったことが良くあるのではないでしょうか。
 こう考えると、新規会員がなかなか出てこないということは大変厳しいことだということが分かります。会のサービスについての関心が薄くなり、ひいては会そのものにも関心を持たれなくなっては大変です。
 こういった傾向が出てきますと悪循環が出て、人手不足が活動を小さなものにしてしまい、そのことが魅力をなくすことにつながっていきます。
 解決していく方向は、会が出来た時の気持ちや目標をもとに会の目的を今一度見直していくことではないでしょうか。
 子ども劇場センターの現在の活動は参考になると思います。親と子の生の演劇鑑賞が出発ではなかったかと思いますが、法人化をきっかけにして、子ども時代を豊かなものにしようと、ワークショップ・チャイルドライン(子ども110番)開設・子どもを対象にした行政との協働事業などの自主活動を展開して、会員のいろいろなニーズを実現しています。
 上意下達ではない参加者の思いが、組織の目的になって、会員が共感でつながり、その力に乗って運営することが会を発展させる秘訣のように思われます。
 市民活動には共感のマネージメントが求められているのでしょう。

第1段 市民活動団体と地縁団体は車の両輪?
 落語のマクラのひとつにある話です。「なんだなアー熊公、町内の不精者がよくこれだけ集まったもんじゃネーか。面白れいから、ひとつまとまって何かやろうじゃネーか」ソバにいた熊公が「よせやい、めんどくせい」
 もしここで団体が生まれたら、その事業は「おもしろいイベントをやる」であり、求める公益性は「町内の融和と親睦を図りもって地域文化の発展に資する」になるのでしょうか。よく見ると、この団体は人と人とのつながりが、各人の自由意志で出来上がっており、極めてNPO的です。
 少しズッコケ気味の説明ですが、この話が好きでよく説明会などで使います。市民活動の特徴の話としても、そう悪くないと思います。
 市民住民の活動する組織に地縁組織があります。地縁組織は一定の地域に居住する住民を、原則として、漏れなくメンバーとして組織します。この地縁組織への参加には本人の意思はあまり尊重されません。住所を移動すると加入する自治会を変わっていかなくてはなりませんし、気にいったからといってよその自冶会に入れてもらうことも出来ません。それは、地縁団体の行うサービスが行政サービスの一部になっているからでしょう。どんな立派な芸術家であれ、自分の住む自治体のサービスが気に入らなくても、パリ市のサービスを受けることは出来ないのと同じです。
 また、地縁組織は選挙や推薦等の方法による代議制を取っています。地域の利害に関することなどについての意思決定を信託された役員をとおして行っています。
 地縁組織は地域共同体のメンバーの利益を追求し、社会一般の公益にはあまり関心がない、とおもわれてますが、決してそうではありません。例えば、ある地区社協の婦人部が環境問題への取り組みとして不用品バザーをおこない、難民基金に寄付をしています。地縁的組織でもメンバーの合意があれば、かなりの事が出来るということではないでしょうか。地縁組織は、一般の市民活動団体とは比べ物にならないくらい多くの会員を抱えているので、参加率が低くても、相当数の参加者が見込めます。
 とはいうものの、地縁組織は地域住民の共益の追求が基本となるでしょう。地縁組織を母体にして、NPO的な活動を地域外の市民に拡げようとしても、そういったケースをいくつか知っていますが、難しいのが現状でしょう。
 NPOもサービスの領域をかなり狭く限定しているタイプがあります。それと地縁組織の違いは、活動への参加の制限をNPOは取っていないことと思われます。サービスのエリアは限界があるわけですが、メンバーシップは不合理な制限は出来ないと思います。
 サービスエリアは必ず特定の地域に限定されることを考えると、NPOといえども、地域との折り合いをつけて活動することの大切さが分かると思います。
 各団体の方々と話をしていますと「高齢化してきて活動力が減ってきた」「後継者がなかなか育たない」「メンバーの理解がなく新しい課題に取り組めない」といった話が出てきます。実は、この話のなかに間題点が隠されているのではないかと思っています。